2015-02

安全保障対話に分類学は不要だ。


安全保障対話に分類学は不要だ。



国家安全保障とは国家の主権を維持する為の力のことをいい、必要に応じてその力を行使することと理解するならば


「法律違反だから駄目だ」とか

「この力は自衛隊に属するから、行使できない」とか「警察の権限だから警察力で対応するべきだ」などという主張がある。


また「集団的自衛権は反対で個別的自衛権で対応可能」というような


現存する諸々の組織や事象の定義を元にした分類学を議論しているような安全保障対話がまかり通っているように見受けられる。


このような分類学的対話は、我々専門知識をもたない一般国民からすれば、何を議論しているのか分からなくなってしまい、また物事をより複雑にしてしまう恐れがある。


こと安全保障に関しては分類学的な対話は不要であり邪魔であると思う。


例えば

「北朝鮮に拉致されている被害者を如何に力により救出するか」という命題に回答する場合


救出可能な戦力見積もりについて最初に分析検討するべきではないか。


力による救出方法をいくつか列挙し、最善の救出策、次善の救出策、その他の救出策を想定し、その戦力見積もりを立てる。


次に、最善の救出策に必要な戦力を見積もる。


そして現状の戦力と比較し、足らない戦力を補わなければならない。


補わなければならない戦力について


「これは法律違反だ」とか


「専守防衛でない」とか


「これは敵地攻撃になるからだめだ」「現状には存在しない戦力だから無理」とか


分類してしまうと「最善の救出策」を具体化させることができない。


自らの考えを自ら縛ってしまう。


したがって、当初からわけの分からない分類に走ってしまうことは


結局、結論は「検討の結果救出できない」となりかねない。


分類にとらわれず真に必要な力は何と何かという対話が必要であり


先に分類学ありという安全保障対話はしてもらいたくない。


つまり

救出に必要な戦力と現状の戦力を比較し


補うべき戦力は法律にとらわれない、所掌や管轄にとらわれないで


必要な力を投入し


合理的に必要な戦力を充当していかなければ救出作戦はおぼつかない。


分類は最善の救出策が決まってから改めて分類しなおせば良いのである。


とにかく助け出せる実行可能な計画を作らなければ意味がない。


現行の自衛隊や警察、海上保安庁、消防庁などの定員や予算はどのように決定されているのだろうか?


特に自衛隊の予算は彼我の戦力比較もしないで

GDPの1%とか

チャンチャラおかしいと思わないか。


最初に根拠も無い分類をしてしまうからこういうことになるのである。





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